純粋な木版表現

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ページ番号1007644  更新日 2025年2月23日

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会期
2025年3月6日(木曜)~2025年6月1日(日曜)
会期中休館日
2025年3月26日(水曜)~4月11日(金曜)、4月30日(水曜)、5月28日(水曜)

 大阪の万博が開かれる前年の1969年に、「浮世絵風の絵が描ける画家でなければ駄目だ」という理由で、アメリカのグラビア誌『LOOK』から、急遽万博のポスターを作ってほしいという依頼を受けた萩原。「聞けば、右頁に太陽の塔をはじめ、万博パビリオンのいくつかを、設計図から予想をして描いてほしい、左の画面の中に、大阪の、いかにも大阪らしい情景と、大阪城も入れろ、日本人の働く姿もほしい、新幹線も入れてくれ…。それを現代の浮世絵風に、一週間で仕上げてほしいという」。こうしてできた《EXPO`70》(1969年)は、まさに、依頼主の要望をきっちりと詰め込んだ“浮世絵風”の一枚に刷り上がりました。グラフィックデザインの才と、卓越した木版画の技術を併せ持つ萩原の力量が画面から見てとれます。

 絶えず技法の枠を広げる試みを続け、自由奔放な線を、木版で生み出したいと願っていた萩原が、1960年代後半、ついに開発したのが、木版の凹版化。凸版では得られなかった線や形の自由な表現が可能となり、凸凹併用の複雑な効果は、萩原を新しいテーマに誘います。国内外でさまざまな賞を受賞した「お伽の国」シリーズを皮切りに、1970年代に入ると、「ピクニック」「影法師」シリーズも誕生。実は一見、写真製版のように錯覚されるフォルムも木版で制作されています。萩原は、木版制作に、木版以外の方法を併用しませんでした。

 「木版は、純粋に、どこまでも木版でなくてはならない」と、新しい表現が可能になるまで、新しい試みを重ねたのです。凸凹技法の併用からさまざまな効果を得てもなお、追及を続けた萩原の研究心が作品を通して伝わって来ます。

引用はすべて 萩原英雄『美の遍路』(1996年、NHK出版)より

作品:EXPO'70
萩原英雄《EXPO'70》1969年

萩原英雄略歴

1913(大正2)年
山梨県甲府市に生まれる
1932(昭和7)年 19歳
白日会第9回展に油彩「雑木林」出品、光風会展第19回展に油彩「上り道」出品
1938(昭和13)年 25歳
東京美術学校(現東京藝術大学)油画科卒業
1951(昭和26)年 38歳
銀座資生堂で「萩原英雄(油彩)」個展開催
1956(昭和31)年 43歳
銀座養清堂画廊で「萩原英雄版画」個展開催、日本版画協会、第24回展出品、以後、第43回展を除き出品を重ねる
1960(昭和35)年 47歳
第2回東京国際版画ビエンナーレで神奈川県立近代美術館賞受賞
1962(昭和37)年 49歳
第7回ルガノ国際版画ビエンナーレでグランプリ受賞
1963(昭和38)年 50歳
第5回リュブリアナ国際版画ビエンナーレでユーゴスラビア科学芸術アカデミー賞受賞
1966(昭和41)年 53歳
第5回東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞受賞
1967(昭和42)年 54歳
第1回チェコスロバキア国際木版画ビエンナーレでグランプリ受賞
2007(平成19)年
11月東京で歿、享年94歳