「版画」がつたえるもの

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ページ番号1006134  更新日 2024年3月4日

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会期
2024年3月7日(木曜)~2024年5月26日(日曜)
会期中休館日

2024年3月27日(水曜)~4月12日(金曜)、4月24日(水曜)

「版」の歴史は古く、はるか原始の時代にまで遡ることができるといいます。写す、あるいは同じものを複数つくる、という実用的な目的から発展をとげてきた「版画」ですが、近代にはいると、写真術や印刷機の発明などもあり、次第に芸術表現のための手法としての側面がつよくなっていきました。現代では、伝統的な技術は受け継がれつつも、つくり手個々によってさまざま工夫がこらされ、多種多様な「版画」が展開されています。

浜口陽三は「版画のマチエールが自分には合うような気がして、合うというより好き」(*)といっています。東京美術学校彫刻科を経て、はじめ油彩画を中心に制作していた浜口は、次第に油彩の大画面に興味を失い、20代後半ころからは銅版画に専心するようになります。彼は独学によって銅版画の技術を習得しましたが、さまざまな実験の過程で、メゾチントを、自らの表現にもっとも適う手法と認識します。つまり、彼が作品のなかで大切にしている「光」、そして「もっと大切」だと考える「闇」は、彫刻でも油彩でもなく銅版画、わけてもメゾチントという手法をもってのみ、あらわすことができるものでした。

「版画」の表現は、画面を仕上げるまでに複雑な工程を要するものが多く、直接的な描画などより時間もかかるため、まどろこしいと感ずる場合もあるかもしれません。しかし、主題によっては、その手間をこそ必要とするのです。

今回は、浜口陽三のほか、南桂子、織田一磨、清水昭八、一原有徳、小畠廣志、大坪美穂、それぞれの「版画」をご紹介します。作家たちそれぞれが自らの主題をあらわすために選んだ技法と、「版画」の画面が出来あがるまでの過程にこめられているものとを、味わってみてください。

 

引用* 『浜口陽三著述集 パリと私』(2002年、玲風書房)より

作品:赤い鉢と黒いさくらんぼ
浜口陽三《赤い鉢と黒いさくらんぼ》1968年

浜口陽三略歴

1909(明治42)年
和歌山県広川村に生まれる

1930(昭和5)年

21歳

東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科中退、パリに移住

1933(昭和8)年

24歳

サロン・ドートンヌに出品

1938(昭和13)年

29歳

パリで水彩画と版画の最初の個展開催

1953(昭和28)年

44歳

関野準一郎、駒井哲郎と共に日本銅版画家協会を創設

1954(昭和29)年

45歳

第1回現代日本美術展で「スペイン風油入れ」と「ジプシ-」が佳作賞受賞

1957(昭和32)年

48歳

第1回東京国際版画ビエンナーレで国立近代美術館賞受賞
第4回サンパウロビエンナーレ国際美術館グランプリ受賞

1961(昭和36)年

52歳

第4回リュブリアナ国際版画ビエンナーレグランプリ受賞

1977(昭和52)年

68歳

第12回リュブリアナ国際版画ビエンナーレサラエボ美術アカデミー賞受賞

1982(昭和57)年

73歳

北カリフォルニア版画大賞展グランプリ受賞

2000(平成12)年

12月東京で歿、享年91歳