果てなき木版画

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ページ番号1007296  更新日 2024年10月31日

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会期
2024年11月14日(木曜)~2025年2月24日(月曜)
会期中休館日
2024年11月27日(水曜)、12月4日(水曜)、12月5日(木曜)、12月10日(火曜)~2025年1月10日(金曜)、1月29日(水曜)、2月19日(水曜)

萩原英雄は、自らを「版画家」とは名乗っていません。彼は「画家」であり、木版画は、あくまで彼の表現手段のひとつでした。「私は、油絵から出発している。だから、ふつう油絵で表現するものを、あえて木版という制約のなかで果たすことによって、より鮮明に表してみたかった」と萩原は述べています。

萩原は、木版画の平面性のうちに油彩画の色彩空間を共存させるべく、さまざまな表現技法を探究しました。たとえば連作《コンポジション》では、彫刻刀で彫ることをせず、ベニヤや木箱の板などを大小に切ったり割ったりして組み合わせ、製版しています。木目の向きが一方向に揃っていないため、描画のような効果がうまれています。またこの連作は、あらかじめ黒く染めた鳥の子紙のうえに不透明水彩絵具で摺っていますが、雲母をもちいることによって、重厚な画面を実現しています。

 さらに、凸版という木版画の制約さえ飛びこえたのが、連作《お伽の国》です。この連作では、凹版である銅版画の、ドライポイントの技法を取り入れました。柔らかく、躍動感ある線が、凸版の色面と共演し、複雑でありながら軽やかな画面が展開しています。無論、その完成には、気の遠くなるような時間をかけて、試行錯誤と実験を繰り返さなければなりませんでした。明瞭な線を摺り上げるために、絵具の研究までおこないました。銅版画の技法もじゅうぶんに習得していた萩原のこと、わざわざ木版画で凹版に取り組まずとも、銅版画であらわすこともできたでしょう。しかし萩原は、日本人が古くから馴染んできた木版画において、いわく「革命」を起こす気持ちで、挑戦したのです。

萩原の木版画探究への熱意は、生涯、尽きることがありませんでした。「こんな苦心を重ねて新しい技術を開発するのは、その技法でしか表現できない世界が、私の中にあるからだ」と萩原は言います。自身のなかでもっとも純粋な生き方として「画家」を選んだ萩原。彼の木版画はいまなお鮮烈に私たちを魅了しますが、その無垢で純粋な世界にもまた、果てはありません。

 

引用はすべて 萩原英雄『美の遍路』(1996年、NHK出版)より

作品:お伽の国18
萩原英雄《お伽の国 No. 18》1967年

萩原英雄略歴

1913(大正2)年
山梨県甲府市に生まれる
1932(昭和7)年 19歳
白日会第9回展に油彩「雑木林」出品、光風会展第19回展に油彩「上り道」出品
1938(昭和13)年 25歳
東京美術学校(現東京藝術大学)油画科卒業
1951(昭和26)年 38歳
銀座資生堂で「萩原英雄(油彩)」個展開催
1956(昭和31)年 43歳
銀座養清堂画廊で「萩原英雄版画」個展開催、日本版画協会、第24回展出品、以後、第43回展を除き出品を重ねる
1960(昭和35)年 47歳
第2回東京国際版画ビエンナーレで神奈川県立近代美術館賞受賞
1962(昭和37)年 49歳
第7回ルガノ国際版画ビエンナーレでグランプリ受賞
1963(昭和38)年 50歳
第5回リュブリアナ国際版画ビエンナーレでユーゴスラビア科学芸術アカデミー賞受賞
1966(昭和41)年 53歳
第5回東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞受賞
1967(昭和42)年 54歳
第1回チェコスロバキア国際木版画ビエンナーレでグランプリ受賞
2007(平成19)年
11月東京で歿、享年94歳