版画人生の証 ~52枚の年賀状~
- 会期
- 2023年11月9日(木曜)~2024年3月3日(日曜)
- 会期中休館日
- 2023年11月29日(水曜)、11月29日(水)~12月7日(木)、12月13日(水曜)~2024年1月19日(金曜)、1月31日(水曜)、2月21日(水曜)、2月28日(水曜)
萩原英雄が生まれて初めて作った版画は、療養所で手掛けた「木版の午の年賀状」でした。1953年(昭和28年)、重度の結核を患い療養生活を余儀なくされた萩原。入院の翌年、「病院の庭にころがっていたベニヤ板の切れっ端をひろってきて、近所の文房具屋で、当時の小学生が使う一本十円の安物の彫刻刀を買い、彫ったり摺ったりして、友人に出したのである」。その年賀状が、思いがけず好評を博したことで、萩原は版画と向き合い、木版画家としての道を歩み始めます。それから50年、50枚目の「羊(未)の年賀状」を前に萩原は、「(年賀状は)半世紀を貫く、私の版画人生の証でもある」と回想しました。
本展では、萩原の運命を大きく変えた、1954年(昭和29年)制作の「午の年賀状」から始まり、2003年(平成15年)の「羊(未)の年賀状」を経て、2005年(平成17年)に手掛けた「酉の年賀状」に至る、52枚の年賀状を中心に展示。歳月を重ねてもなお、旺盛な探求心で新しい試みに挑戦し続けた萩原が描く「十二支」たちは、どこかユーモラスで遊び心を覗かせます。
「それじゃあ、一つ、本当の版画を作ってみようか」。葉書という小さな世界でありながら、木版制作の出発点ともいえる52枚の年賀状を通して、萩原の版画人生を辿ります。


萩原英雄略歴
- 1913(大正2)年
- 山梨県甲府市に生まれる
- 1932(昭和7)年 19歳
- 白日会第9回展に油彩「雑木林」出品、光風会展第19回展に油彩「上り道」出品
- 1938(昭和13)年 25歳
- 東京美術学校(現東京藝術大学)油画科卒業
- 1951(昭和26)年 38歳
- 銀座資生堂で「萩原英雄(油彩)」個展開催
- 1956(昭和31)年 43歳
- 銀座養清堂画廊で「萩原英雄版画」個展開催、日本版画協会、第24回展出品、以後、第43回展を除き出品を重ねる
- 1960(昭和35)年 47歳
- 第2回東京国際版画ビエンナーレで神奈川県立近代美術館賞受賞
- 1962(昭和37)年 49歳
- 第7回ルガノ国際版画ビエンナーレでグランプリ受賞
- 1963(昭和38)年 50歳
- 第5回リュブリアナ国際版画ビエンナーレでユーゴスラビア科学芸術アカデミー賞受賞
- 1966(昭和41)年 53歳
- 第5回東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞受賞
- 1967(昭和42)年 54歳
- 第1回チェコスロバキア国際木版画ビエンナーレでグランプリ受賞
- 2007(平成19)年
- 11月東京で歿、享年94歳