富士をおもう
- 会期
- 2022年11月17日(木曜)~2023年3月5日(日曜)
- 会期中休館日
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2022年12月16日(金曜)~2023年1月13日(金曜)、1月25日(水曜)、2月15日(水曜)、2月22日(水曜)
富士山は、木版画家・萩原英雄が「生きる証」とした主題です。
山梨に生まれた萩原にとって、富士山は「毎日食べる御飯のようなもの」であり、故郷そのものでした。若き日に病を背負い、死の淵に立たされながらも長い療養生活をのりこえ、齢四十を過ぎて木版画家として立った萩原は、「何か人間を超えた大いなる力」に突き動かされるようにして独自の表現をつぎつぎに生み出します。創造するよろこびのうちに生の実感をつかんだ彼に、あらためて呼びかけてきたもの。それが、心の故郷、すなわち富士山という存在でした。木版画で富士山をあらわそうと思い立ったことこそ「真の甦り」であった、と萩原は振り返っています。
葛飾北斎の《富嶽三十六景》にちなみ、三十六の富士山の姿を描くと決めた萩原でしたが、その道のりは平坦なものではありませんでした。北斎の時代ではない、現代の富士山。様式美としてではなく、萩原の心をその時どきに切実に捉えた、「生きている」富士山―。それを表現するため、萩原は、富士山と一体になって呼吸をし、その深奥に触れようとしました。富士桜高原に山荘を建ててそこに暮らしながら、膨大な量の取材とスケッチを積み重ねること二十年。「人が見落とす、写真にならないような富士、それでいて、これぞ富士、というような」富士山を見出し、そこからさらに五年をかけて《三十六富士》シリーズを完成させました。
「何をもって『萩原の富士』とするか」。彼は、空の表現がその決め手になったと語っています。富士山を取り巻く千変万化の空もようと実際に向き合いつつ、それぞれの画面において富士山がもっとも生きる空をつくりだしていることも、特筆すべきでしょう。
今回は、《三十六富士》シリーズより、秋から初春にかけての富士山を展観します。完成から数年後に着手した《拾遺(こぼれ)富士》シリーズの五点とあわせ、「萩原の富士」に今なお生き続けているものを受けとっていただけたら幸いです。
*文中引用は全て『美の遍路』(1996)より

萩原英雄略歴
- 1913(大正2)年
- 山梨県甲府市に生まれる
- 1932(昭和7)年 19歳
- 白日会第9回展に油彩「雑木林」出品、光風会展第19回展に油彩「上り道」出品
- 1938(昭和13)年 25歳
- 東京美術学校(現東京藝術大学)油画科卒業
- 1951(昭和26)年 38歳
- 銀座資生堂で「萩原英雄(油彩)」個展開催
- 1956(昭和31)年 43歳
- 銀座養清堂画廊で「萩原英雄版画」個展開催、日本版画協会、第24回展出品、以後、第43回展を除き出品を重ねる
- 1960(昭和35)年 47歳
- 第2回東京国際版画ビエンナーレで神奈川県立近代美術館賞受賞
- 1962(昭和37)年 49歳
- 第7回ルガノ国際版画ビエンナーレでグランプリ受賞
- 1963(昭和38)年 50歳
- 第5回リュブリアナ国際版画ビエンナーレでユーゴスラビア科学芸術アカデミー賞受賞
- 1966(昭和41)年 53歳
- 第5回東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞受賞
- 1967(昭和42)年 54歳
- 第1回チェコスロバキア国際木版画ビエンナーレでグランプリ受賞
- 2007(平成19)年
- 11月東京で歿、享年94歳