心のむこう
- 会期
- 2021年3月4日(木曜)~5月30日(日曜)
- 会期中休館日
- 2021年3月31日(水曜)~4月9日(金曜)、4月28日(水曜)、5月26日(水曜)
「抽象作品を制作する時、私は、下絵になる原画を作らない」と萩原はいいます。「版の順番は頭の中で決める。版に直接別々の形を彫っていき、彫り上がったら、最初の版に、頭の中に描いた色を作ってつけ、摺り、次の版にまた別の色をつけて、摺り、また次の…と繰り返していって、最後の版を摺りおえると、出来上がっている」。萩原によると、それは「完成形」が既に頭のなかにできている、ということではありません。彼自身にも不思議だったようですが、はじめは漠としていたものが、「板をにらんでいるうちに見えてくるイメージに導かれて」制作をすすめるなかで、完成してゆきます。それはまるで、意志の以前に存するもの、心のむこうにあるものが、萩原の身体をとおって、純粋なままに画面に出現しているかのようです。
萩原は当初、写生を主眼として絵画制作に取り組んでいました。しかし1953年、結核を患い、療養所での生活を余儀なくされます。病身で写生もままならず、描くものへのアプローチのしかたを転換する必要に迫られた彼は、大きな決心のもと、「対象を見ないで描く勉強」に打ち込みました。そのことが、彼を「より内的な表現」に向かわせ、さらには、純粋であり無垢であるもの、「心でしか感じ得ない」もの―すなわち、彼がいうところの「抽象」―の表現へと深化してゆきました。萩原の不思議な制作工程は、そうしたなかで自然に成立したのでしょう。
一枚の平面のうえから展開される、はてしないひろがり。私たちは、萩原英雄が出現させるそのひろがりに身を置くことによって、私たち自身の心のむこうを感覚することになるのです。
*「」内引用はすべて萩原英雄著『美の遍路』(1996年、日本放送出版協会)から


萩原英雄略歴
- 1913(大正2)年
- 山梨県甲府市に生まれる
- 1932(昭和7)年 19歳
- 白日会第9回展に油彩「雑木林」出品、光風会展第19回展に油彩「上り道」出品
- 1938(昭和13)年 25歳
- 東京美術学校(現東京藝術大学)油画科卒業
- 1951(昭和26)年 38歳
- 銀座資生堂で「萩原英雄(油彩)」個展開催
- 1956(昭和31)年 43歳
- 銀座養清堂画廊で「萩原英雄版画」個展開催、日本版画協会、第24回展出品、以後、第43回展を除き出品を重ねる
- 1960(昭和35)年 47歳
- 第2回東京国際版画ビエンナーレで神奈川県立近代美術館賞受賞
- 1962(昭和37)年 49歳
- 第7回ルガノ国際版画ビエンナーレでグランプリ受賞
- 1963(昭和38)年 50歳
- 第5回リュブリアナ国際版画ビエンナーレでユーゴスラビア科学芸術アカデミー賞受賞
- 1966(昭和41)年 53歳
- 第5回東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞受賞
- 1967(昭和42)年 54歳
- 第1回チェコスロバキア国際木版画ビエンナーレでグランプリ受賞
- 2007(平成19)年
- 11月東京で歿、享年94歳