中川紀元展 -辰野美術館所蔵作品による-

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ページ番号1002400  更新日 2022年3月28日

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会期
2006年1月28日(土曜)~2月19日(日曜)
入館料
100円(ただし、小学生以下・65歳以上・障がい者は無料)
主催
武蔵野市立吉祥寺美術館
協力
辰野美術館

ポスター:中川紀元展-辰野美術館所蔵作品による-


中川紀元は1892(明治25)年2月11日、木曽駒ケ岳を間近に望む長野県上伊那郡朝日村(現辰野町樋口)に生まれました。
1912(明治45)年、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科に入学しますが、旧体質の指導に失望、また制作にも自信を失い退学。その後、太平洋画会研究所、本郷研究所へ通い洋画に転向、藤島武二にデッサンの指導を受け、また、二科会の重鎮であった石井柏亭や正宗得三郎にも師事しました。1915(大正4)年、第2回二科展に初入選。1919(大正8)年には渡仏し、エコールド・パリの空気の中、マチスに師事するという幸運に恵まれました。
滞仏中の1920(大正9)年に「ロダンの家」等で樗牛賞を受賞、帰国後滞欧作7点を出品し二科賞を受賞するなど、そのフォーブな画風は当時の日本画壇に新鮮な衝撃をもたらしました。前衛傾向の画家達とグループ・アクションの結成に参加し活発な活動を展開したのもこの時期です。
1924(大正13)年にアクション解散、油彩画に倦怠を感じた中川は次第に日本画への関心を深め、1930(昭和5)年には中村岳陵ら日本画家たちと六潮会を結成します。
以後、二科会と六潮会という全く異なる展覧会を発表の場としながら制作活動を続けますが、二科会解散後は、熊谷守一らと第二紀会を結成、ここを舞台に水墨画的な油彩画という新しい境地を開拓しました。若い日にパリで学んだ自由な画風に東洋画の伝統が一体となった中川独自の表現はこうして形成されました。
中川はその生涯を長野と東京に過ごしましたが、武蔵野市には1956(昭和31)年に転居して以降、1972(昭和47)年に79歳で亡くなるまで居住しました。
本展はこうした武蔵野市に縁ある芸術家の紹介展の一環として企画されたもので、中川の故郷・辰野町の美術館が所蔵する作品を、画家が晩年を過ごした武蔵野の美術館で展示してその人と芸術の魅力を紹介します。渡仏時代から晩年にいたる作品の数々をご鑑賞いただき、中川紀元の画業の一端に触れていただく機会となれば幸いです。

作品:アラベスク
《アラベスク》1921年
辰野美術館蔵
作品:座せる女(1)
《座せる女(1)》1919年
辰野美術館蔵
作品:風景(ポルト・ド・オルレアン)
《風景(ポルト・ド・オルレアン)》1919-21年
辰野美術館蔵