小畠鼎子展 青龍社とともに歩んだ女性画家

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ページ番号1002364  更新日 2022年3月28日

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会期
2010年5月29日(土曜)~7月4日(日曜)
休館日
6月30日(水曜)
入館料
100円(ただし、小学生以下・65歳以上・障がい者は無料)
主催
武蔵野市立吉祥寺美術館
関連イベント
6月12日(土曜) ワークショップ「みんなで描こう!大きな絵」

ポスター:小畠鼎子展 青龍社とともに歩んだ女性画家


1929年に川端龍子によって設立された日本画団体・青龍社は、独自の理想を追求し、昭和前期の美術界に新風を巻き起こしました。「健剛なる芸術」を掲げたこの団体からは、福田豊四郎、坂口一草、横山操など多くの個性的な画家が生まれましたが、その中に青龍社とともに歩み続けたひとりの女性画家がいました。
小畠鼎子(1898-1964)は、東京に生まれ、日本画を池上秀畝に学んだ後、当時日本美術院で活躍していた川端龍子の門下となりました。龍子が日本美術院を脱退し青龍社を旗揚げすると、その第1回展から入選。1948年には社人となり、青龍社の中心的画家の一人として活躍しました。
それまでの日本画は、繊細巧緻ないわゆる「床の間芸術」が主流でしたが、龍子は芸術の大衆化を見据え、展覧会での鑑賞を目的とした力強い大作主義の「会場芸術」を唱えました。伝統的な日本画のあり方にとらわれない師のもと、鼎子はその影響を受けつつも独自の感性を存分に発揮し、大胆な構図に豊かな色彩表現を用いた写実的な花鳥画を多く残しました。主な発表の場だった毎年の青龍展への出品は、歿する前年までの35年間欠かさず続けられ、その地道に己の芸術を追及し続ける姿勢は龍子にも賞賛されました。また、吉祥寺に居住し、自宅の植物や井の頭公園の鳥など身近な題材を好んで描いた武蔵野市ゆかりの画家でもあります。
本展では、約20点の所蔵作品により、小畠鼎子の日本画の世界をご紹介します。力強さと繊細さが同居する華麗な作品の数々をお楽しみいただければ幸いです。

作品:青艶
《青艶》1937年

作品:増産
《増産》1944年
作品:鴨遊図(仮)
《鴨遊図》(仮)制作年不詳