青龍社の女性画家 小畠鼎子 ~井の頭恩賜公園100周年記念~

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ページ番号1002315  更新日 2022年3月28日

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~苦しみながら描くことの楽しみ~

会期
2017年1月14日(土曜)~2月26日(日曜)
会期中休館日
1月25日(水曜)、2月15日(水曜)、2月22日(水曜)
作品:青艶
《青艶》 1937年 紙本着色 155×270センチメートル 第9回青龍展出品
作品:葡萄
《葡萄》 1945年 紙本着色 181×135.5センチメートル 第17回青龍展出品

小畠鼎子(こばたけ・ていこ 1898-1964)は、大正末期から昭和にかけ吉祥寺に暮らした日本画家です。師・川端龍子が昭和4(1929)年に創立した青龍社に当初より参加し、65歳で亡くなるまでの35年間、一貫して活動拠点を同社に置き、〈主婦〉として4人の子どもを育てながら、ひたむきに画に向かい続けました。

武蔵野市では、鼎子没年に受贈した1点に加え、当館開館前の平成8(1996)年にはご遺族から〈まくり〉状態 ―木枠やパネルから外された、本紙のみの状態。多くのものは、巻かれて保管されていました。― の鼎子作品46点の寄贈を受け、以来、修復処置を段階的に進めて参りました。本展では、平成26年度から28年度までに額装作業が完了した受贈後初公開作品を中心に、戦前・戦中・戦後にかけて制作された約20点の大作をご覧いただきます。

現存作例や文献資料に乏しく、また、残された作品それぞれも決して雄弁とは言えないながら、それらを通じて私たちは、身近な草花・鳥・動物に丹念に注がれた鼎子の視線に接近し、そして、鼎子が見つめた〈戦争〉への直面を迫られることとなるでしょう。

描くこと、あるいは思いのままに描けないことに苦しみながら、筆を持つ時間「只それのみの世界に入る事」を楽しんだ、鼎子。忘れられた女性画家の画業を、今、あらためて振り返ります。

作品:突進
《突進》 1943年 絹本着色 183×134センチメートル 第11回春の青龍展出品
作品:増産
《増産》 1944年 紙本着色 181×135センチメートル 第16回青龍展出品
作品:寒暁
《寒暁》 1945年 紙本着色 183×128センチメートル 第13回春の青龍展出品
作品:紅梅
《紅梅》 1952年 紙本着色 184.5×139センチメートル 第20回春の青龍展出品
作品:冬を楽しむ
《冬を楽しむ》 1954年 紙本着色 122×181センチメートル 第22回春の青龍展出品
作品:雛誕生
《雛誕生》 1960年 紙本着色 137×182センチメートル 第28回春の青龍展出品

※作品はすべて武蔵野市蔵

小畠鼎子略年譜

明治31(1898)年
2月、神田美土代町に生まれる。
大正4(1915)年
東京府立第一高等女学校卒業。この頃より日本画家・池上秀畝に師事。
大正9(1920)年
婦人世界主催第1回女流日本画展覧会入選。
大正10(1921)年
婦人世界主催第2回女流日本画展覧会入選。
大正11(1922)年
遠藤辰之助と婚姻、吉祥寺に転居。結婚後、川端龍子に入門。
大正13(1924)年
第10回日本美術院試作展に《巣籠》入選。
昭和4(1929)年
第1回青龍展に《山百合》入選。以後青龍展に35回連続入選。
昭和9(1934)年
青龍社社友となる。
昭和23(1948)年
青龍社社人となる。
昭和39(1964)年
1月、吉祥寺の自宅にて没。享年65歳。